年代によって、それぞれの死別があると思います。
ここでは若い年齢での死別を考えてみました
やはり30代の配偶者との死別は数が少ない
若い配偶者の死別の問題として、周りの同世代に経験者がほぼいないというのがあると思います。
経験者がいないという事は、なかなか共有が出来ません。
「わかるよ、うんうん」
という会話の世界から切り離されてしまうんですね。
死別か15年以上経って、今私は50代になりましたが
50代でも配偶者との死別はまだまだ少数派だと思います。
これは年齢だけじゃなく、亡くなり方が周りと共有出来なかったり、
お子さんを亡くした場合も同じようなことが起きるのではないかと思います。
未完成の感情
また、「若い」ということは、
一緒にやりたかったこと、一緒に共有したかった時間がまだまだたくさんあった人が
多いと思います。
当然相手を嫌いになってもいないし、感情は残ったままです。
人生の途中で相手が消えてしまった未完の想い、未完の感情。
「80や90才まで一緒にいられれば心残りも薄いだろう」ということではないのですが、
若いとどうしても「未完成感」「未達成感」が残ると思います。
その感情を分かち合える人が、もともとの友人関係の中にはまずいません。
経験者&共感者が周りにいないということは・・・
同じ経験をしてる人が周りにいないという事は、
もしかしたら勝手に想像(妄想)されてしまうという事も起こります。
相手から一方的な想像で解釈されてしまう
相手の一方的な想像で判断されてしまう
それにより苦い経験をした人も少なくないのではないでしょうか。
例えばこんなこと
TVなどで葬儀で泣いていないご遺族に、「あまり悲しくないのかも」
「思ったより元気そう」という感想を耳にすることもありますし、
配偶者がいなくなったことで「家事をやらなくて済んで羨ましい」「自由でいいなぁ」、
などと思われてしまったり。
いつまでも悲しんでると悲劇のヒロイン的な解釈をする人もいると思います。
もしそれが経験してることなら
「そんなこともあるよね」「私の時も大変だった」とフォローもされるのでしょうが、
若い死別などレアケースの場合は、やはりそのへんの共有がまず出来ないです。
収入、仕事、生命保険、遺族年金、義理親との関係、新しい出会い・・・・
あらゆる面で共有出来ず、
理解もあまりされず、
時には想像で、「きっとこうなのだろう」と判断されてしまう生活が始まるのです。
それは徐々に他人と距離を取ることにも繋がります。
本人が1番分かってる
そこで思うのは、一番分かってるのは本人(その人自身)ってこと。
ある意味開き直るしかないのかも、ということが最後に行きついた考え方でした。
表に出てない部分はその人しかわからない、最大の理解者は自分ってこと。
他人に理解を求めるととってもモヤモヤして、ストレスが溜まってしまうように思います。
自分の思いを内に秘めたまま、周りに理解されるのも諦めて・・・
これは嫌でも強くなってしまいますよね。
強いという表現が正しいのか分かりませんが、まるで共有のない旅を歩いてる感覚です。
だからこそ私はこういう場所を作りたかったのかもしれません。
あの頃の私が、あったらいいなぁという場所を。