「死別から立ち直る」を別の言い方にすると・・・

たまに本などを読んでると
「死別から立ち直るには」というような表現に出会います。
でも立ち直った、といえるラインってどこなんだろうと私自身わかってないところがありました。

 

死別から立ち直るということ(私の場合)

そして3年経った頃だったか4年経った頃だったか、
「どうやらこれは〝立ち直る〟というモノでもないのかもなぁ」と感じてきたのです。

(※この言葉を使う時はそんなに深い意味はないのも分かっていつつ・・・)

例えばどんなに日常で笑っててもふとした時に涙が流れてきたりするのは珍しくない事ですよね。

普通の日常を送ってても、いくら楽しそうに過ごしてても
例えば何十年も前の戦争や災害や事故の話をする方がテレビで話をするときなどは
涙を流していることは珍しくないです。

 

だとしたら、立ち直るってなんだろう。

もしかしたらそこにこだわらなくてもいいいのかも、と何年目かの時に思い始めました

 

 

「共存する、それを引き連れて歩く」

どちらかといえば私は「共存する」がとてもしっくりきます。
その人の中に、確実にあるもの、残るものだからです。

跳び箱を飛ぶように「越えました」という存在ではない…

今日は元気だと思ってても、また数か月後になんとなく昔を思い出して滅入ってしまう。
そんな行ったり来たりのユラユラした感覚は続くのかもしれません。

 

大丈夫な日があったり
ダメな日があったり、

でもそんな自分と共存する
そしてなんとか
コントロール出来るようになりました。

こんな感じが私にとっては自然だと思いました。
いろんな感じ方があるかもしれません。
でも決して「まだ乗り越えられない自分はダメだ」
なんて思わないでくださいね。


「101回目のプロポーズ」というドラマを久しぶりに見ていた時に、
「もう死別して3年も経ったんだから」という周囲のセリフが出てきて
とっても驚いたことがあります

もう3年も経った・・(!?)
若い頃はなにも引っ掛かりなく見ていたはずなんですが
私にとって3年はあっという間でした。

死別してからの時間の感覚、ちょっと普通と違うと思いませんか?