これは声をかけるほうも、かけられるほうも気を使ってしまう部分だと思います。
私も実際にこういう立場になって初めてわかることが沢山ありました。
それまでは何でもなかったやり取りや言葉も、こちら側になってみると結構キツイやり取りがあることが分かりました。
感覚が敏感になっている
とにかく当事者にしてみれば世界観が変わるようなことが起きたので、
どうしたって普通の生活をしてる人との会話のズレが出てくるのでしょう。
「いつまでも悲しんでると、きっと天国の●●も心配してるよ」
こんななんでもない会話でも、こちらにとっては「悲しむことも許されないのか…」と責められてる気がしたりします。
例えるなら料理を失敗してしまった人に対して
「失敗しちゃったのかぁ、こんな料理、誰も食べないよ?」と念を押されてるような
それは本人も分かってるしと、、責められてる感覚。
その念押しキツいです、ってなってしまいます。
一方、「最近はどうですか?」「そろそろ落ち着きましたか?」
これらの質問もあまり状況を話したくないこちらにとって困るものでした。
(※落ち着いた?と言われても、このようなものが早々に落ち着くわけがないのです。)
管理人さんには感謝。でも当時は・・・
当時私の住んでるマンションは入り口に管理人さんがいて、会うとよく心配して挨拶してくれました。
「どうですか?最近は落ち着いてきましたか?」
「元気ですか?でも前より顔色良くなって来たねぇ!」
と一生懸命声をかけてくれました。
管理人さんもエントランスでしょっちゅう顔を合わせる私にどんな言葉をかけていいのかとても気を使ったと思います。
管理人さんとして最大限の気の使い方をしてくれたのでしょう。
でも死別者としての私の心理はなかなか複雑なものだったのです。
「いやぁ、、さすがに数か月やそこらで落ち着かないです」
「いえいえ、今日もあまり眠れてないですよ」なんていちいち反論したくなる気持ちがありました。
でもただの挨拶にいちいち引っ掛かっていては
スムーズなやり取りにならないのは分かっているので、
「はい、なんとか最近は・・・」「はい、前よりは」と無理やり笑顔を作って
寝てなかったとしても「はい、大丈夫です。行ってきます」を無理して言ってました。
でも疲れてしまって作り笑いをしたくない時は、
エントランスの裏口から出ていくようなこともありました。
1年目あたりはこんな1つ1つの言葉が刺さっていたのを覚えています。
相手に悪気はない
これは相手が悪気がないし、むしろこちらに気を使ってくれているのは分かってるのです。
だから素直に受け止められない自分に罪悪感を感じたりもしました。
こんな何気ないやりとりにすら、気持ちがモヤモヤすることになってしまった、
なんだか厄介な人間になっていくなぁと。当時は思ってました。
そしてもし私が死別をしてなくて逆の立場なら「最近どうですか?少し落ち着きました?」
なんて普通に言ってると思います。
相手が良かれと思ってるからこそ難しいのだと思います。
脳内変換してみよう
今わかるのは、これら一連の言葉の意味を考えなくてもいいって事
死別直後はそんな余裕もないし初めての事にいちいち引っかかってしまうので難しいのですが
でも当時の自分にアドバイスが出来るなら挨拶や励ましの言葉や周りの声かけをすべて
「相手の言葉」
⇒「あなたを気にかけています」「あなたを心配しています」
に置き換えてしまえばいいよ、と言ってあげると思います。
そのほうが結果的にモヤモヤしないし、相手との関係もギクシャクしないと思います
例外があるとしたら・・・・
悪気がなくて言ってる、または良かれと思って言ってるらしいなら上記の脳内変換でいいと思うのですが、
例外として、もしかしたらわざと嫌な事を言って来る人もいるのかもしれません。
結構とんでもない言葉をかけられてる人も珍しくありません。
「これはもしかしたら嫌なことをわざわざ言われてる?」
そんな風に思う相手がいたとしたらそれはなるべく距離を取ったほうが良いかと思っています。
この時期の周囲の鈍感な言葉やとんでもない言葉はかなりストレスになるので
そこに悪意が見えるなら、悩むまでもなく距離を取るしかないと思うのです